お知らせ

2016年4月19日 災害支援事業

笑顔プロジェクトⅥ「絵灯篭大作戦」事業報告

今年で3回目となる「絵灯篭大作戦」ですが、今回も多くの方のご協力をいただきました。「心を寄せる支援活動」として取り組みやすいことや、5年という節目の年でもあったためでしょうか、多くの会員や子どもたちから、1,535枚というたくさんの絵が寄せられました。どの絵も心を込めて描いた様子がうかがわれ、添えられた言葉も胸にしみるものばかりで、みなさんの被災地へ寄せる温かい気持ちが伝わってきました。本当にありがとうございました。その絵を、2月末までに現地へお送りしました。

そして3月10日~12日の3日間にわたり、宮城県名取市を訪れ、絵灯篭を設置する活動に参加しました。参加者は北川会長、東副会長、浦珠洲市PTA連合会会長、竪畑事務局長の4名です。

閖上訪問

3月11日(金)、ホテルの窓から見る名取市は、やわらかな日差しが降り注ぎ、5年前の惨事を忘れさせるかのような好天です。ボランティア活動は午後から開始ということなので、われわれは津波で754名の尊い命が失われた閖上を訪れ、まず慰霊碑に祈りを捧げることにしました。

朝9時半過ぎでしたが、慰霊碑前には何人もの方が訪れ、献花台には白い菊の花が手向けられていました。さっそくわたし達も係りの人から白い菊を受け取り、献花台に供えました。目を瞑り、手を合わせると、耳のそばを吹き抜ける風の音が一瞬人の声のように聞こえました。

そのあと「閖上の記憶」という震災記念館とも言うべき施設を訪ねました。ここでは「追悼の集い」の準備をしていました。「ハト風船」にメッセージを書き、大空に飛ばすという集いです。係りに人にお願いして、わたし達もメッセージを書かせてもらいました。

その後「日和山」へ登り、閖上の街があった辺りを見渡しました。復興は予定よりはるかに遅れているようです。去年までと違うのは、ようやくかさあげ工事が始まり、重機やダンプカーが動いていることくらいでした。1日も早い復興を祈らずにはいられませんでした。

お昼近くになったので、閖上をあとにし市内へ戻ることにしました。本来のボランティア活動に従事するためです。

絵灯篭ボランティア

今年の会場は名取市役所前広場に変わりました。閖上地区の復興工事がはじまり、前回までの会場であった閖上小学校と閖上中学校が取り壊しになるからです。

午後1時少し前に会場に到着しました。すでに現地ボランティアスタッフが集合し準備を進めていました。間もなく市民体育館横で活動の説明が始まりました。私たちが担当する作業は絵灯篭を組み立て、それを会場に並べることです。二人一組になり、協力して絵灯篭を組み立てる作業です。

わたしたちの活動の他にも、プラスチックのカップを利用したキャンドルをつくる人たちもいます。一方企業から参加したボランティアの方は、電子絵灯篭を並べる作業が割り振られました。

絵灯篭組み立て作業

絵灯篭を組み立てる作業手順を簡単に説明しましょう。①台紙に「ろうそく立て」をくっつける→ ②灯篭の側面を箱状に組み立てる(絵はすでに貼ってありました)→ ③②でつくったものと①の台紙をホッチキスで止める→ ④市役所前の広場に並べる という仕事を流れ作業でおこないます。

わたしたちは③の活動に従事しました。石川県PTA連合会から送った作品もその中に混じっていました。二人一組で作業を進めていると、途中から女子高校生が作業に加わってくれました。名取市内の高校生で、今日は震災の記念日のため学校はお休みなので、ボランティアに参加しているのだと話してくれました。今年は若い人がたくさん参加しているなあと思っていましたが、その理由がはっきりしました。

たくさんの人が活動に参加してくれたおかげで、作業はとても順調に進み、予定よりずいぶん早く作業が終了しました。

光の道

市役所広場に約100メートルにわたってたくさんの電子絵灯篭が整然と並べられています。一基ずつ見ていくと、石川県PTA連合会から送ったと思われる絵を見つけることができました。珠洲市の浦会長は子どもたちの絵を見つけるたびにシャッターを切っています。実行委員の説明によると、その数1100個だそうです。

もう一方の広場では、紙の絵灯篭があらかじめデザインされた場所に美しく並べられていました。どの絵灯篭にも元気を届けようという願いの絵や、亡くなった方々を悼む言葉が描かれていました。こちらの数は1000個です。合計2200個の絵灯篭に使用された絵の数は8800枚ということになります。

そのひとつひとつにろうそくを立て、風で吹き飛ばされないように重石を載せました。あとは点灯式を待つのみです。

黙祷

午後2時46分、地震が起きた時刻になりました。5年前のちょうどこの時刻、あの大地震が何の前触れもなく襲ったのです。ある人は卒業式の後のパーティーの準備をしていました。ある人は病院で家族の見舞いをしていました。ある人は友達と買い物をしていました。そんな平穏な日常が大きな揺れで断ち切られたのです。

名取市全体に追悼のサイレンが流され、それを合図に市民全員が黙祷を捧げます。会場にいたわたし達も、津波が襲ってきた海に向かって黙祷を捧げました。

このあともう一度黙祷を捧げるのですが、それは閖上に津波が到達した午後3時53分のことになります。地震発生から約72分後、閖上を襲った津波は想定外の高さでした。冷たく、黒い水に飲み込まれ、命を奪われた人の冥福を祈りながら、頭を垂れました。

絵灯篭の点灯

午後5時15分、点灯式の時間になりました。追悼式典を終えた名取市長も来場し、会場の方たちに挨拶をされました。続いてステージの上に並べた絵灯篭に、名取市長、市民代表、子ども代表の方々が灯をともしました。まだ周囲が明るいため、絵灯篭の灯りはほんのりと灯ったままでした。       

その後ボランティア全員が、チャッカマンで絵灯篭に灯を入れていきます。

追悼式典

点灯し終わる頃には夕闇が迫り、灯りがだんだん明るさを増していきます。やがて追悼式典が始まりました。

はじめは閖上地区に昔から伝わる勇壮な「閖上太鼓」の演奏でした。寒さを吹き飛ばす、力いっぱいの演奏でした。続いて「名取子どもミュージカル」のメンバーによる元気な歌声が、会場いっぱいに響き渡りました。ミュージカルの子どもたちとは石川県での公演活動を通してすっかり顔なじみになっています。少しの時間でしたが、交流できました。

今年は被災経験を持つ若い方々が壇上で思い出やこれからの希望を語る場面がありました。抑えた口調の中にも、悔しさ、悲しさが伝わってきました。しかし前を向いて新しい未来を築いていこうとする決意も感じました。

やがて宵闇が迫ってきて、灯篭の灯がいっそう輝きを増していきます。

すると「3.11 閖上」の文字がくっきりと浮かび上がりました。

皆さんにご協力いただいた絵灯篭は名取の地に温かい光を注ぎました。復興を願う希望の光となって閖上の地を照らしました。亡くなった方々を悼む気持ちもきっと天まで届いたことでしょう。

被災地の復興状況

あくる日私たちは「語り部タクシー」を利用して、被災地の復興状況を視察しました。

はじめに訪れたのは岩沼市の復興事業「千年希望の丘」です。津波で被災したところを、広大な公園として、木を植え、記念館を建て、祈りの鐘を設置し、後世に震災の記憶を引き継ぐという壮大な計画です。丘に立ち、海を眺めると大規模な防潮堤が目に飛び込んできました。

次に「閖上地区」を訪ねました。運転手さんが津波に襲われる前の閖上の写真を見せてくれました。そこからは活気のある町の様子が伝わってきました。震災以前の状況を知らない私たちは、本当は被害の深刻さを分かっていないのではないかと思いました。また名取市の復興が遅れている理由についても説明を聞きましたが、私たちが知らない葛藤がたくさんあるようです。

そのあと仙台市に入り、「荒浜地区」を視察しました。荒浜小学校が当時のまま残されています。この小学校では震災の2年前に避難訓練要項を見直し、運動場ではなく校舎の3階以上に避難する方法に変更したそうです。それが子どもたちの命を救うことにつながったと、運転手さんが説明してくれました。生きたマニュアルを備えることの大切さを学びました。下の中央の写真に写っている観音像は、津波の高さと同じ高さです。いかに大きな津波が押し寄せたかが分かると思います。

今回訪れた被災地は、地域によって違いがあるものの、徐々に復興が進んでいます。でもわたしたちは「被災地が5年後に復興を遂げている」という想像ができませんでした。完全な復興までにはまだまだ長く険しい道のりが続きます。決して風化させてはならないと思いました。今後とも心を寄せ続けてくださいますようお願い申し上げます。

平成28年3月

石川県PTA連合会 会長 北川 和也